コロナ禍において、この年末にかけ益々倒産やリストラが増加すると言われています。
舞台芸術に関わる仲間たちからも、悲痛な声をきくことがありますが、
今は微妙な時期で(持ちなおすかまた悪化するか)、あっちは再開する?どんな形で?と様子を探っているような雰囲気です。
そんな世相のなか、技能実習生が捨てられるように解雇され、行く当てもなく、借金を背負い、家族のもとへ帰ることすら出来ないという話をきき、ずっと「何か出来ないか」「ご飯を食べさせてあげるだけでも、出来たらいいのに」とこの数か月悶々としていました。留学生や技能実習生、困っている人たちに何かできませんかと問い合わせましたが、「勝手に出歩くことを禁止されている」と。
実習生もそうですが留学生たちも悲惨で、せっかく憧れて日本に来たのに外出を許されず、オンライン授業で寮にこもっているそうです。肌で感じよう、学ぼうと希望を胸に抱いてきたのに、このまま3月に帰国となる可能性もあります。
そしてもちろん日本人でも、住む場所を失った人たちがいます。
そして、世の中が信じられないほど大きく動いた今年、価値観が大きく揺さぶられ、いつ自分や近しい人がそうなるかもわからない、と感じています。
そんな中昨年読んだこの記事を思い出しました。
bigissue-online.jp
本文より抜粋しますが、
本人の努力ではいかんともしがたい状況をきっかけに職や貯金、人間関係を失い、住まいを失っていく人がたくさんいるということ、そして「賃貸」と同じように、「ホームレス」は家がないという「状態」を表すに過ぎず、決してひとくくりにはできないということを説明する講義により、
講義前には
「努力できない人種だと思うので仕方がないがかわいそうではない」
と述べていた灘中の学生たちでしたが、
「自分と置かれた環境が違う人がいる」
「貧困層だからといって努力していないわけではない」ということを踏まえた声があがり、そして
「将来、国の制度を変えるような職につくつもりはないが、金が富裕層に一極集中するような社会を変えるため、世間の一個人として、声を上げたいと思った」
という感想をもつに至ります。
学校に行くことがままならない家庭、今日明日、食べることが出来なくなるかもしれない貧困、それが現実に起こっている中、
なぜ私は衣食住に困らない家庭に生まれ、当たり前のように教育を受けることができたのか。読みたい本が読め、聴きたい音楽が聴けて、不安なく夜眠ることが出来る、それはただ偶然、自分の努力とは関係なく享受してしまったものです。そしてその逆もそうで、持たざるひとが、努力をしなかったわけではありません。
去年の初め頃だったか、ベルギーの友人に教えてもらった藤井風にハマりました。
彼の奏でる音楽、紡ぐ言葉の中で、ひときわ心に響いたのが「帰ろう」の歌詞です。
全て与えて帰ろう
何も持たずに帰ろう
与えられるものこそ 与えられたもの
何度聴いても涙が出ちゃうんですよね~20そこそこでこんな言葉が紡げるなんて。giftedだわ…。
藤井 風(Fujii Kaze) - "帰ろう"(Kaerou) Official Video
何はともあれ、いろんなことが重なって、私が今持てているものの中で、どうしても去り際まで持っていきたいもの以外、自分よりも必要とする人がいるならば手放そう、と積極的に思うようになりました。
そんな中見つけた支援の先を、ここでご紹介しておきます。
これから寒くなるにあたり、
ホームレスの方が必要とされる毛布などの送り先です。
私は毛布、買ったものの使っていなかった着る毛布、防寒具などを送りました。
また、こちらはベトナムからの技能実習生の駆け込み寺となっているNPOへの物資送付先です。
もし共感してくださるかたがいらしたら。もしこのエントリーが響いたら。
支援の輪が広がったらいいなあ、と思います。