9月末にFM COCOLOをお辞めになった小谷真美子さんの最後の放送を聴いた。
お住まいの奈良から沖縄に移住すること、
その最大のきっかけは6年生の娘さんに対するいじめと、無理解と、一部の先生たちの無意識の差別だったということを、いつも通りの落ち着いた口調で語られていた。
「ハーフ人」「うわ、あいつ来た」から始まり、
5年生のころには物を隠されたり捨てられたりという行為に発展したのだそうだ。
6年生の時に娘さんが新たに晒されたのが教師の無理解と差別。
みんなで話し合おう、という体で始まったHRで教師がクラスメイトに話して聞かせたのは、
みんなそれぞれ顔が違うよね。それって仕方ないよね。
だから、彼女が髪の色や肌の色が「違う」のも仕方ないよね。
だったそうだ。
あらためてみんなの前で「みんなと違う」と先生から烙印をおされた幼い女の子は酷く傷ついたようで、母親である小谷さんも”先生に悪意が無いのは分かるから糾弾しようとは思っていないが、何が問題なのか理解してもらえなかったのが、無意識の差別の難しさだ”という趣旨の事を語っておられた。
以前私も夫も、小谷さんと娘さんをとあるライブでお見かけしたことがあるし、
お住まいは奈良で、他にもいくつか繋がりがあり、一方的に存じ上げている。
夫婦ふたりで、なんと悲しいことかと話しながら、私は
「あんなかわいい子やのにな」とつぶやく夫についてもあらためて考え込んでしまった。
そして、30年以上生きていて、私はマイノリティになった事が無いとあらためて思い知った。
小谷さんの娘さんや、私の夫やその妹、母親が日々「ハーフ」や「ガイジン」といったマジョリティーからの悪意のない差別(区別と呼ぶ人もいる)を浴び続けていることを、全く理解してあげられていなかったと猛省した。
正直、言っているほうに悪意は無いんだし、ポジティブな意味でとらえたらいいんじゃないの、と思ったこともある。マイクロアグレッションのいい例だ。
今さらながら、この時代になってもまだなお、こんなに身近な地域で小谷さん親子のような思いをする人がいるということを知り、彼らが想像以上の頻度で無意識の差別を受けているのだということ、そして誰も無頓着でいてはいけないのだということを思った。
夫と出かけると、
日本語で話していてもお店の人が私の方ばかり向く、
はなから英語メニューを渡される(訳が酷いことも多いらしく、結局日本語メニューをもらう)のは日常で、
お箸の使い方上手ですね、日本語上手ですね、ハロー、英語でなんか喋ってみて、は何万回と言われているらしい。
それらに対して「どっちの気持ちもわかるわ~」とか言っていた自分、全く解っていなかったようだ。
英語のほうがいいかなっていう気遣いじゃないの?悪意はないんだよ、ほら上手って褒めてくれてるんだし、ポジティブな意味でしょ。どうもどうも~で流せばいいんじゃないの?と思っていた。
でもどうだろう。
毎日、「あなたは私たちと違うので」と言われ続けるというのは、どんな気持ちだろう。
私は、今ネットや、ネットを飛び出して繰り出されるヘイトスピーチ、ヘイトデモを始めとするレイシズムが心の底から嫌いだ。
日本人の多く(一部であってほしい)が抱いている、主にアジア諸国への優越感からくる差別意識(逆に”名誉白人”なんて言葉が生まれるほど白人への劣等感もある)、
そして身体的、知的問わず障害者への無理解と差別も、私が想像していた以上に根深く広範囲だと知って、苦しくて悔しくてたまらなくなる時がある。
尊敬するミュージシャンの中にもいろいろなルーツを持つ人たちがいて、アカデミア界隈でも、国籍や肌の色を問わず素晴らしい方々がいる。その中にも日本で生まれ、日本で育ったのに選挙権の無い人がいる。
そしてどんな人でも、誰かの勇気や希望になり得るし、誇らしいと思う国籍や五体満足の身体を持っていても逆になることだってある。
知れば知るほど、差別に利用される「違い」なんてものは、マジョリティに属したい人間の作った幻想と驕りだと感じる。
そんな当たり前のことを忘れたくは無いのだけれど、あらためて、人は自分がマジョリティだと思うと安心するし、マイノリティになりたがらないものだと、また、例に漏れず私もそうだったのかもしれないと思った。
日本という社会で、
日本国籍で日本人顔で、いわゆる健常者といわれるもので、仕事は女性の割合が多い環境でジェンダー差別も無く(もしかすると逆に男性音楽家のかたは感じているかもしれない)、偶然異性と結婚し子供がいて、自分自身についてはきっとそこまで「周りと大きく違う」と感じることはなかった。ただここ最近、世界中で巻き起こる「差別」「被差別」「反差別」の戦いを見ていて、
偶然ここにいるだけでマジョリティだが、一歩外に出ればマイノリティなのだ。
でも一体なにが「違う」?私は私で変わらないのに。
そして、それは私だけで無く誰だってそうなんだ、
とこれまで以上に強く感じるようになった。
それでもまだ、”経験”では無い。私がもしこの先、自分が少数派である環境に身を置くことになったとしたら、本当の意味で夫や小谷さん親子の気持ちが解るようになるのかもしれない。今はただ、わかりたいと思っているのに本当の意味で理解できていないのかな、ごめんなさいという気持ちだ。
好きな曲にTHE BLUE HEARTSの「青空」と、河口恭吾さんの「地球兄弟」がある。
ご存知ない方は、是非歌詞を読んでみて欲しい。
そしてずっと心にとめている言葉に、「未知なるものへの理解と寛容」というのがある。これは中高の卒業アルバムに、ある先生が贈る言葉として書いてくださったものだ。
世界中、いろんな「違い」が溢れていて、それは多様で面白く、それらが差別の材料ではなく「彩り」だと思えるようになっていったらいいなと思う。