marikolog

ヴァイオリン奏者として活動している水野真梨子のブログです

VIOLINと音楽とうさぎと教室での毎日を綴ります。
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レガート バイオリン教室(精華町光台 * 奈良市富雄北)

直近100年

いつだったか討論番組で、「大昔の歴史を勉強するよりもまず、直近100年のことを学ぶべき」と漫画家の江川さんがおっしゃっていた。

 

その時は「これまでの歩みを知ることで、どう歩いていけばいいか分かる」というのに「なるほどなあ」と思った程度だったけれど、ここ最近は直近100年の言葉がずっしりと胸に響くことが多くなった。

先に記しておくと、私は熱心なフェミニストでは無いし、特定の宗教信仰も、政治思考もない。あくまで何においても個人を見て判断するように心がけているつもりである。


先の選挙でふと気になって色々と調べ始めると、有り難いことにいかに今の自分が生きていくのに多くの選択肢を持つことが可能か、そしてそれがほんの2,3代前までどれほど難しく、もしくは不可能であったか再確認するに至った。

ここからはいくつかたどり着いた資料を貼り付けながら自分の覚書として書いていく。

 

www.freelifec.com

中高で4年間も担任だった社会の先生が卒業のときに私たちに贈った言葉は「選挙にいくこと」だった。どうしても、自分一人の票が何かを左右する実感は得られず投票率低下も理解できなくはない。だけれど、今回の選挙の大きな収穫は、ひとりでも大きな気づきをくれた人がいたことだ。

 

togetter.com

私のこのエントリーをご覧になったら、ぜひともリンク先をすべてお読みになってほしいと思う。

ひきこもり25歳が立候補、と面白おかしく取り上げられた彼が放った、

普通に勉強し
普通に学校に通い
普通に社会経験を積み
普通の良識を持った
そんな、普通の20代に私は希望を見いだしている、

という言葉。なにか事あるごとにこの国での未来に絶望感と諦めの感情を持たされてしまっていた私には眩しく、有り難く感じた。

 「何もかわらないし」と諦めてしまう前に、せめて彼のような考えや、希望を捨ててはいけないということを何らかの形で拡散していきたいと思い、ここで紹介している。これからを生きる世代の、良識ある人々に国をつくってほしいので、彼の起こしたようなアクションが広がっていけばいいと心から願う。

 

最近授乳などで起きてその後寝付けない時に、初めてウェブコミックを買ってみた。口コミに、歴史を知るにこんなに良い漫画はない!とあったので、ここ最近歴史と行く末を悶々と考えることの多い私は飛びついてしまった。

 

 

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そしてその内容は、素晴らしい画力のせいか、その悲惨極まりない時代の描写に胸がえぐられるようで、涙が出てしまうほどだった。

舞台は作者の出身地の室蘭で、史実を元に、東北から室蘭の幕西遊郭へ売られていく少女4人を中心に当時の貧困、軍と共産主義者の衝突、室蘭を栄えさせた鉄鋼業を絡めて、戦争へ向かって町全体、国全体が巻き込まれていく様子まで描かれている。

 

それが今からたった60年ほど前まで続いていたというのだから、直近100年というのがいかに激動の時代かと考えさせられる。

 

と、なんだか長くなってきた!ちょっと疲れてきたうえに息子の世話を挟むのでちょっと、だいぶ、端折っていくが、無理やり結論づけるならば、第二次世界大戦前・中・後を知らずに今を生きていくのはあまりにも危うい。そう思うのは私の意識の根底に戦争は絶対にすべきではない、何事も目先の利益より長い目で見た時のリスクを含めた判断をすべきというのがあるからかもしれないが、今の世の流れは迎合するに値しないと思う。

私はむやみに人と戦いたくはない。

やたらと人を憎むこともしたくない。

「あの国のひとだから」「男だから」「女だから」「若いから」「年寄だから」「子供をもたない人だから」「結婚していないから」「専業主婦だから」「働いているから」

そうやって大きなカテゴリにぼんやりと分け、大なり小なり、人生の中で戦争なんてものはしたくない。

そして今あるものを壊さず大切にしたい。 

 

最後に、これも直近100年の記録として。

橋本公さんという日本人の作品で、相当の力作である。作品と、つづけて以下に転載したコメントも是非お読み頂きたい。以上、うららかな春の日に、うさぎのはねる部屋で乳飲み子を抱きながらもんもんとするバヨリン弾きでした。

 


【世界の核実験地図】Ctbtomedia 2053ByIsaoHashimotoJapan762 ...

 

橋本 公(日本)
Isao Hashimoto
1959年 熊本生まれ。明治大学商学部を卒業後、17年間銀行員として勤務。
2001年 武蔵野美術大学造形学部芸術文化学科入学。

核実験:コンピュータ・アート
「1945-1998」
制作にあたって
橋本 公(武蔵野美術大学・芸術文化学科)


 「世界中で行われた核実験を視覚化する。」
このテーマ設定だけでも一年近く悩んだこの映像作品は、
私が大学の卒業に際して制作したものです。
 私は、武蔵野美術大学・芸術文化学科で学んできた学生です。
ここは、芸術と文化に関わる全てのものを対象に、
マネージメントできる専門家を養成する学科です。
私は、美術館などの公共施設を、いかにより多くのひとに利用してもらえるか
を検討し、具体的対応策を提案することを学びました。
 研究をとおして、私は地図の重要性に着目するようになりました。
美術館がどんなによい展覧会をやっていても、
人々に知られなければ、なんの役割も果たしたことになりません。
また、来館する人たちをスムースに導いてあげなければ、
お気に入りの場所として何度も足を運んでもらうことはできないでしょう。
そこで、パンフレットやポスター、駅からのサインなどに、
地図を効果的に活用することに取り組みました。
こうして、卒業制作も、地図をベースにしたものにと思うようになりました。
 同じ時期に、世界中を震撼させる大きな事件が起きました。
アメリカの同時多発テロ事件です。
事件の翌日、私は大学のアトリエで木炭デッサンをしていました。
それまでの毎日とまったく変わらない穏やかな時間の中、
絵を描きながら悲しみに暮れている人たちのことを考えました。
「芸術はこんな時、"役立たず"なのか?」
 次の年の春、私はある機会から、カンボジアを訪れました。
ご存知のように、この国ではつい最近まで、ポルポト政権によって
大量虐殺が繰り返されてきたところです。
内戦が終結した現在でも、残された地雷がこども達の将来を奪っています。
そこでは自分の無力さを思い知らされましたが、
同時に、"アート"という道具を使って、微力でも何かできないだろうか
と思うようになりました。
 帰国後に観た展覧会の絵で、テーマが決定しました。
それは、丸木俊さんの「原爆の図」をはじめとする一連の作品群でした。
実は私は熊本県出身で、
長崎に落ちた原爆を「繰り返してはならない悲しいできごと」として、
小さいときから教えられてきたことがよみがえりました。
こうして、原爆を含む核実験をアートで表現してみようと思ったのです。
 調べると、世界中で二千回以上の核実験が行われていました。
数字で示されてもなかなか実感として伝わらないこの事実を、
見慣れた世界地図の上で視覚化することで、
身近な問題として感じてもらおうと試行錯誤を重ねました。
そして、地図上の光の点滅と実験回数を示す数字だけで、
いつ・どこで・どの国が何回核実験を行ったか
を表すかたちにたどり着きました。
また、どの国のひとが見ても理解できるように、
文字はいっさい使用しませんでした。
尚、作品をより正確なものにするために、データ収集には特に時間をかけ、
最終的には、スウェーデンの平和機関「FOI」から協力をいただいて、
作品を完成させることができました。
 作品はできるだけ感情を押さえて、
見るひとがそれぞれの思いで受け止められるようにつくりました。
私は核問題の専門家ではありませんが、
それだけにニュートラルなメッセージとして伝えることができるのではないかと思います。

 以上・核兵器・核実験5 モニター 第182・3号 2003年3月15日より